3 いつもみる
鍼灸師向けー『難経」で治療するにはー
これまで見えてこなかったものをみるために
私は今までとは違う視点で解釈しました。
従来の通説とは違うこと
(そこが面白味であること)をお断りしておきます。
本質に迫ると同時に
なるべく現代人の生活に沿うようにも考えました。
所々に文面から連想した思いつきやエッセイも添えてあります。
これは直接治療とは関係ないかもしれませんが治療に通じるものです。
伝統鍼灸師は治療の時だけではなく
日常普段から伝統鍼灸師なのですから。
「24時間臨床」の我々は鍼をするだけが治療ではありません。
おかしなことをいう奴だと思われるでしょうが
その訳を聞いてください。
まず、我々は「はり」を持った時だけが治療家なのでしょうか。
はり治療は技術や理論だけではないというのは
皆様わかっていらっしゃると思います。
「学術面」と「人間性」の両方があって
継続的な臨床が成立します。
二つはどちらも日常において磨くことができます。
普段からでも人を観察・診察できますし
相手にどう接するか変えられます。
映画や小説から治療のヒントをもらうこともあるでしょう。
毎日の習慣が臨床において生き死にしてくる場合もあります。
その振舞いや態度、話し方や考え方は
常に自分の自由です。
するとONOFFや公私の区別境界など
いらないことになります。
白衣も患者も関係ないし
勉強だけが勉強じゃない。
我々は鍼灸するだけが治療じゃないし
治療だけが臨床でもない。
素の自分を保ったまま臨床に立てばいいし
臨床の感覚で遊んだらいい。
そうやって見えない壁を壊すことで
心と思考の風通しがよくなる。
なぜなら「鍼灸」の面白さはそこにあるからです。
もし鍼灸は医療ではないというのなら
医療ではない強みがあるということ。
事務的な流れ作業より
よっぽど人間らしくていいじゃありませんか。
クソ長い待ち時間や
痛い注射もいらず強い薬も必要ない。
神秘的で不思議
さらにその場でよくなって
相手の驚く表情や笑顔を見られる。
互いに笑ったり泣いたり感情表現できる。
こんな素敵なことってありますか。
狭い了見で考えることをやめれば
世界はもっと広がります。
そういうわけで関係ない話も関係なくはないし
関係性に気付くのが鍼灸の原理。
よって、自由で大胆な発想ができるよう
コラムのような形をとりました。
学問にとらわれず
ある種の芸術として表現しています。
「通説に縛られないこと」
「ありきたりでないこと」をよしとしています。
また、読んでいく中で重複する内容や言葉があります。
繰り返しが理解を深め
定着するものとしてどうかご容赦ください。
ここに比較するものを作ることで
新たな真実がみえてくること。
その叩き台として批判して頂き
あなたのお役に立てば幸いです。
さあ、一緒に『難経』の世界を旅しましょう。